日本財団では自宅待機を余儀なくされている子どもたちを支援するプロジェクト“stay home with the sea”を展開しており、自宅で国語や算数など4教科に加えて海についても学ぶことができるウミドリるなど9つのチャンネルを配信しています。
今回は自宅で学べる海なし県山梨と海との関わりを山梨県立博物館学芸員の森原明廣さんに解説してもらいました。
「海なし県山梨」と海の関わりはほとんどないように思われていますが、そんな事はありません!!
実は昔から、かなり深い関わりがあったんです!
富士川町の鰍沢河岸跡から発見されたのは江戸時代から明治時代にかけて食べられたとみられるマグロの骨。
今のように交通網が発達する前から海の大きな魚が運ばれてきてそして食べられていたことがこの資料で分かります。
また、世事記という資料は江戸時代の家計簿ですが、非常に多くの海産物が見受けられます。
昔から山梨県民がいかに海産物に親しんでしたかがわかります。
でも交通網が発達していない江戸時代にどうやって海産物をはこんだのでしょうか。
そこで使われたのが中道往還という道です。
中道往還は駿河湾と山梨を結ぶ最短ルートでした標高の高い場所を通るので涼しく、
生魚の運搬に適していました。
しかし、海から少し離れているので、どうしても傷んでしまう。それでも食べられるように、塩とか醤油を使って工夫して食べられるようにしていました
甲州寿司や煮貝等も海のものをおいしく食べる工夫だったと考えられます。
一方、生ものではなく、日持ちする乾物や塩、砂糖などを甲府に運ぶ際には、富士川舟運と呼ばれる船便を利用していました。
陸と川。二つのルートを最大限活用して、山梨に海産物を運んでいたんですね。
森原さんは『山梨県と海というのは切っても切れない関係にあってそれだけ大切な存在で、これからも山梨と海の関係についてしっかりと考えていかなければと思っています。』と話していました。
みなさんも海と山梨の意外なつながりについて調べてみてはいかがでしょうか。
日本財団では自宅待機を余儀なくされている子どもたちを支援するプロジェクト“stay home with the sea”を展開しており、自宅で国語や算数など4教科に加えて海についても学ぶことができるウミドリるなど9つのチャンネルを配信しています。
今回は自宅で学べる海なし県山梨と海との関わりを山梨県立博物館学芸員の森原明廣さんに解説してもらいました